午前3時の私

何となく頭が痛くて重いなあ…と思って目を覚ますと、午前3時15分。
あーあ、この時間に目が覚めてしまったら、もう一度眠りにつくことはできないな、朝は6時には起きて、出かける準備をしなくちゃならないし、明日の午前の通訳の資料ももう一度見直しておいた方がいいだろうし、午後の仕事の資料はカバンに入れておいたっけ? 今ごろ頭が痛いだなんて、朝起きてもっと痛くなっていたらどうしよう、通訳が始まってからお腹も痛くなったりして・・・などなど。

夜中に目を覚ますと、私の頭の中はドンドンと下向き、後ろ向きの方向に。いろいろと考えて心配しだすと止まらなくなり、さらにあれもこれもと考えて、眠れなくなるという悪循環。では、眠るのは潔く諦めて、仕事の準備をするとか、気分転換に映画でも観ればよいのですが、そこはまた心配性なので、「ちゃんと寝ておかないと明日頭が働かないかも」と不安になって、無理やり眠ろうとするわけです。

通訳や講座の仕事の前夜はだいたいいつもこんな感じで、朝起きたら頭がボーっとして、一番頭をスッキリさせておきたい日に一番頭が働かない。メンタルの弱さが如実に出ています。

毎回こんなことを繰り返し、それでもずっと通訳や講師を続けているので、私も自分でよくやるな…と呆れていますが、最近、少しだけ、ほんの少しだけ、夜中に目が覚めて不安に駆られたときに、「こうしよう!」と実行していることが二つあります。

まずは一つ目。自分で今コントロールできないことは不安リストから外す。
たとえば、通訳が始まってから頭やお腹が痛くなったら…と不安になる。冷静に考えると、これまで百回に一回も起こったことがないので、そんなことにはならないはずなのですが、夜中に一人で考えているとついつい心配になってしまう。コロナで緊急事態宣言が出て、新規感染者がドンドン増えた時にも、夜中に体調が悪いような気がして「私、コロナかも?」と不安になって、ますます眠れなくなるということもありました。でも、それは心配しても仕方がない。そうならないように体調管理は必要でしょうが(生牡蠣大好きな私も、大事な仕事の前はガマンしています)、夜中に考えても私にできることはない。そう気づいた時点で、その妄想を追い払う。

二つ目は、「今、ここ」に気持ちを集中する。
夜中に一人で考えていると、不安がとめどなく広がっていきます。明日の同時通訳、プレゼンの資料に一部差し替えがあるって聞いたけれど、どんな内容だろう? 私、すぐに理解できるかな? 難しい病名や症状の話しは出てこないかな? などなど。こんな風に次から次へと不安が広がっていったら、いったん考えるのをやめる(努力をして)、「今、ここにいる私」に気持ちを向けようとしています。具体的な方が集中しやすいので、「息を三つ数えながら吸って、六つ数えながら吐いて」と呼吸に意識を向ける。そうすることで、不安の広がりから気持ちを逸らすことができやすくなるように感じています。

何十回、何百回とこんな経験をしているのに、なぜそんなに緊張する仕事を続けているかというと、やはりひとえに終わったときの解放感と充実感があるからでしょうか。
昨日の仕事も、終了したときにクライアントさんがみんなで拍手しながら、「さすが、プロの通訳さん!お願いしてよかったです」と言って下さった。そんなありがたい言葉が何よりのご褒美で、そういうご褒美があるから、懲りずに続けているのだろうと思います。

長年通訳や講師をしてきて、面の皮は厚くなり、心臓に毛も生えているはずですが、夜中の小心者の私はなかなか追い出せそうにありません。ただ、少しでも不安を飼い慣らすことができればと思っています。

(小宗睦美)