試験勉強
先週、久しぶりに試験というものを受けました。しかも英語に関係のない内容で2時間の筆記試験。こんなことは何年ぶり、あるいは何十年ぶりかもしれません。
昨年11月に講座を受けて、いわばその卒業試験のようなものだったので、半年ほど時間はたっぷりあったはずなのに、ついつい勉強は後回しになり、慌てだしたのはゴールデンウィークが終わったころ。
それでも、焦りだしてから試験日まで2週間以上はあったので、学生時代にくらべるとずいぶん準備ができるようになったと言えそうです。
ただ、準備時間を以前より長めにとるようにしたと言っても、読んで覚えられるかと言えばそれとこれは別。覚えたかと思ったら抜けていくため、ちっとも先に進まない。ザルのような記憶力です。
その昔は(十代までさかのぼらないとダメですが)スポンジに水が染み込むように丸暗記ができることを誇っていた私ですので、丸暗記がまったくできなくなっている自分にショックを受けました。
ただ、丸暗記が得意と言うと聞こえはよいのですが、理解していなくても覚えることが苦にならなかったとも言えるわけで、それで本当に役に立っていたのだろうかと、かなり疑問なところもあります。
いずれにしてもそんな荒業は、もう限界だということを今回改めて悟りました。
以前であれば、「この情報はテキストのこのあたりに書いてあったはず」と、頭の中にそのページの絵が浮かんできて、その周辺に書かれている情報もある程度ひきだすことができたのですが、今回は絵も図も表も文字もぼんやりとしか浮かばず。
テキストを5回は読み込んだのに、しかも書き出してまとめたりもしたのに、どうして記憶力がこんなに衰えてしまったのだろう。
息子に愚痴を言っていたら、ここぞとばかりにこう言われました。
「テキストを5回読んだっていうけど、それでは足りないんじゃない? もしかして10回読んだら頭に残っていたかもしれないよ。まだまだ努力が足りないと思うけどね。僕だって何回も繰り返し読んだあとではじめて、あのページのあそこに書いてあったなって思えるぐらいだから」
悔しいけれど、おっしゃる通り。
単純にまだまだ努力が足りなかったのでしょう。年齢のせいにするよりは、努力が足りなかったと思うほうが少しだけ救われる気がするのは私だけでしょうか。
そうは言っても、年齢を重ねると努力の量もさらに倍増させていく必要があるのは間違いありません。
長年の間に蓄積してきた知恵と経験で努力の質を引き上げて、最終的に努力の量も増やしていく、たぶん一番工夫しなきゃいけないのは、勉強の仕方なのでしょうね。
そんな気づきがあったのも試験勉強をしたおかげだと思いたい、結果はさておきプロセスが大事と思いたい。
でもやっぱり、今回の試験で合格しなかったら、次にもう一度頑張れるかな~と少々不安な私です。
(小宗 睦美)