あのときわからなかったこと

あのときわからなかったこと

例年よりはるかに数は少ないものの、4月に入ってからスーツ姿の初々しい新入社員らしき人たちを駅や電車で見かけます。社会人になると、毎年の変化がほとんどないので、4月は新入社員の姿を見て「入社の時期なんだな。頑張れ~!」と心の中で応援したり、新入社員の頃の自分を思い出したりします。

大学卒業後、私が入社したのは老舗のホテルでした。就活のときのポイントは「英語が使える接客の仕事」。ところが、入社したホテルで配属されたのは営業部。ホテルと言えばフロントというイメージしかなく、実際、同期の大半がフロントに配属されたなかで、私一人だけが営業部の内勤という地味な職場に送り込まれたのです。これは当時の私にとっては、それはそれはショックなことでした。

当時はバブル真っ盛り、ホテルの宴会営業は稼ぎ頭で、営業担当者は総勢30人強、全員が男性(&おじさん)でした。4人いた女性は営業補佐で、英語とはまったくかかわりのない職場。朝は朝礼前に机のふき掃除、朝礼で社是社員心得を全員で斉唱したあとは、課長の訓示がありと、「超昭和な」雰囲気が漂っていました。朝から晩まで電話応対に追われ、その合間にダイレクトメールの発送やパンフレットの補充など、これまた地味な仕事の連続です。

黒いスーツに白いシャツのビシッとフロントの制服を着た同期が集まってお昼ご飯を食べている様子を見て、「なんで私だけ? 英語使う仕事なんて全然ないし、ダイレクトメールの発送なんか誰にでもできる仕事やん」と毎日不満に思っていました。

今から考えると、「新入社員のくせにお前はいったい何者だ!」と自分で突っ込みたくなるぐらい不遜な態度ですが、当時の私は大まじめに配属されたその日から自分の不運を嘆いていたものです。

ホテルの営業は、宿泊、宴会、レストランに関係なくホテルビジネス全体を見ることができますし、他部門と関わることが多いので、人脈を作るにもうってつけの職場で、実際、同期の男子たちの多くは営業への配属を希望していたようですが、当時の私にとっては自分の希望とは全く違う職場というとらえ方しかできませんでした。

結局、仕事が忙しかったのと、英語が使える職場で働きたいという思いが強くて、3年足らずでホテルは辞めました。退職を申し出たときに、「将来は営業に出てもらうつもりだから、もう少し頑張ろう」と上司に言われましたが、当時は営業なんて考えられなかったので、そそくさと退職の手続きを進めてもらったものです。

退職した翌々日から派遣で外資系企業の秘書として働きだし、私の「英語を使いたい」という願いはようやくかなえられました。でも、数十年経って考えると、あのとき発想を転換し、もっとホテルビジネスに興味を持って、自分から仕事を提案し、人脈を作っていれば、まったく違うキャリアを築くことができたのではないかという気がしています。

自分の決断に後悔はしていませんし、念願だった「英語を仕事に」を実現できたことに満足はしています。ただ、あのときの同期が羨ましくて、「なぜ私だけフロントじゃないの?」という後ろ向きな気持ちに囚われていた自分に、「見方を変えてみたら?退屈だと思っているその仕事、もっと面白くできるんじゃない?」と言ってやりたい気がします。

あのときわからなかったこと、それはきっと今だからわかることなのでしょうけど。

(小宗 睦美)

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